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2008年11月14日 (金)

写楽への夢・写楽の見た夢

「写楽への夢・写楽の見た夢」

 写楽への夢から写楽「大谷鬼次の江戸兵衛」を模写している。懐のあたりから両手がまさに出ようとしている絵である。本物を提示すれば、見たことがある人はたくさんいるはずである。私の模写の画像を眺めてほしい。配色は変えてある。
 さて、模写はさほど難しいものではない。平面から平面であるから、写したい作品と写す紙のそれぞれに縦線・横線、斜線などひいてそれをめやすにすれば、容易に模写することはできる。地図を拡大する要領である。しかし、今回このような安易な方法はとらず、縦横の比も違う紙にいきなり木炭でデッサンした。うまくいくかどうか、ハラハラしながら描くのが面白いのだ。用紙には、下塗りはしてあるので、その色との不協和音も面白い。画面の中で戦い、せめぎあいが起こるのだ。もともと絵ってそうなんじゃないか。ましてやオリジナルともなれば。
 写楽の作品の背景は銀色のようなねずみ色である。ウンモという鉱物のてかりである。私はあえて、これを赤系統の色にしてみた。殺気だったようすを雰囲気としたいからである。かなりうまくいったつもりだったが、最後服の模様を入れて、すっかりダメになった。三本線の模様なのだが、これが難しい。となりの線とつかずはなれずに三本ひかねばならない。しかも生きた線でとなると私の手に負えない。線の両端もうまく収まらない筆の縦具合で端がうまくかけないのである。立てて描くのは、何も見ないで描いているということなんだろう。要するに私は下手なのである。ううむ。
 専門化家によれば、かような達人の写楽もヘタなのだそうである。この絵についていえば手の形が変だし、顔が大きすぎるというのである。大首絵で世に出たのもデッサンがなってないからとの証拠に、全身像のぎこちなさを指摘する人は多い。
 しかし、要するに単にうまい絵描きではなく、すごい絵描きだったということではないか。対象の内面までも描きあらわす画家はそうそういるものではない。それにちょっと絵を描く人間ならば、絵のよしあしと写真のようなデッサンとはそれほど関係がないということは常識なのである。一般的に達人は、容易に1本の線が引けるところをあえてニ本にしてみたり、なぜこんな線があるのか不思議だという線を引いたりするものなのだ。雪舟しかり。若沖しかり。パターンで描かずに、本質に迫ったと言うことだと思う。
 写楽のこの絵は、殺気だった男を瞬間的にとらえている。私はこういう絵を生涯一枚でも描きたいものだと思うのである。

                        ※

 写楽は謎の人物である。その写楽の見た夢は、一体何だったのだろうか。一説によると写楽は、地方の役者であったという説がある。
 そこで、私の妄想がはじまる。
 地方から、江戸に出たというのは、志があったのであろう。絵の才能を見る限り役者の様子をよく捕らえている。絵を描くというよりも、自分の芸の肥やしにするためにこうした絵を芝居を見ながら描きためて、歌舞伎を研究していたのではないか。役作りを構想しながら描いているというのであれば、役者の内面にせまるという行為もそれなりの自然な必然性がある。
 それが、誰かの耳に入り、見とめられるとするとどうだろう。本人の望んでいた形ではないのだが絵師として世に出たというのも面白くはないだろうか。 
 話は飛躍するのだが、将棋のプロの技量は紙一重だという。序盤から二十数手のどんな局面をみても、これはいつ、AプロとBプロが対決した局面で、感想戦ではこちらの有利ということであった。などと一にらみで言えるプロがいるらしい。ところが、それが勝敗につながるかというと単純ではないところに、将棋の奥深さがある。役作りもそうではないだろうか。人まねはできても、それと自分の役作りとは別次元のものであろう。
 人まねの役作りは達人の写楽が、自分は二流の役者であった。ところが、自分が手慰みにしていた役者絵から、絵描きとしての自分の自分が現れれたのだとしたならば。
 世に、真絵描きになりたいと思う人間は多いが、自分で望んでいなくても絵描きになった人もいるだろう。そんな姿を写楽にかぶせる私の妄想なのである。

Syraku1 Syraku2

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